企業の思惑でイベントが開催され、そこに招待してもらったことを書くこと。
これは宣伝なんでしょうか?
文字面からすると、宣伝じゃん!と思われます。
自分も宣伝の範疇だと思います。
では、企業が記者を呼んでプレス発表会を開催し、記者が「記事」として書くことは宣伝なのでしょうか?
そこにニュースとしてのバリューがあれば記事として書かれるし、価値を認めなければ書かない。
その書くか書かないかという判断の時点でそれは宣伝ではなく記事になるんだと思います。
では、プロではない書き手を集めるブロガーイベントってどうなんでしょう?
やはり、書くことが望まれて呼ばれている。
書かないという判断が許されるイベントなら、書かないという選択肢を持つことでそれは記事として成り立つのでしょう。
しかし、そう言いながら商品やサービスを供されて書かないというのも何だかなぁって思うんですよね。
ただの物貰いじゃないんだし。
書かないという判断が出来るほど、まだ自分が自己メディアとして確立したものをもってないからなんですけどね。
だから、どんなにそのイベントが個人として楽しかろうと企業の思惑があることは何らかの表記をせねばと思っています。
一番わかりやすいのは<広告>とか
昨日のワーナーのイベントは素直に楽しかった、面白かった。
そう思っています。
ワーナー・オンデマンドというサービスは魅力もあるし、今後の映像コンテンツの制作にどうフィードバックされていくのか非常に興味があります。
「フリンジ」はすごく面白い作品で、がっつり魅入りました。
ドラマということで、この続きは次回!みたいな終わり方をされたら後味悪くなるなぁと不安がるほど、見てる横から次が見たい、どうなるの?という欲求が押し寄せてくる構成でした。
そんな面白さを個人としてどう書くのか。
よかったよかったで書くと、ワーナー・ブラザーズの思惑に乗っかってしまうというのも実際はジレンマとしてあるんですよね。
別に批判的に書く必要もないし。
これが、1ユーザーとして生活の中で触れることなら躊躇なく書けます。
しかし、特別な場所で、まだ市場に出ていない作品を誰よりも早く見れるという特権を享受させてもらいながら、まるで生活の一部のように書くことは出来ません。
(イベント後に早くアップしなければという変な脅迫観念もあったので、ただそこで説明されたことを味気ない文章にしたて、結局はライブ感のないつまんない文章になってしまいましたが。)
そんなこともあり、敢えてタイトルに
その文言を入れた瞬間で、読み手の気持ちが離れることも重々承知しているし、PVを上げるためには損なんですよね。
しかし、そこを曲げるとメディアとしての責任がどんどんぼやけてしまうと思っています。
個人の日記程度のことしか書いてないんだけど、読み手が一人でもいる時点で媒介=メディアとしての機能は発生している。
メディアの責任を自分の一個人の中に刷り込ませるためにも
でも、「フリンジ」については、単純な興味として後日書くかもしれません。
宣伝ではなく期待という意味で。
(実際はもうちょっと生身に近い感覚で全文別エントリーでも書いてみたいし)
記者やライターってこういうジレンマを初期の頃に超えるのかな?
自分からネタ元を発掘して書くことが大前提なんだろうけど、こういったプレス発表の場って、どのように接してるんでしょう。
私が思う悩みなんて低次元なんだろうけど、こういうジレンマを抱え続けながら文章を書くって大変だよなと思ったり。
悩んでたらしょうがない、ただ書くのみって思ってる人もいるだろうし、中には麻痺してしまった人、特権を当たり前のことと勘違いしてる人もいるかもしれません。
それでも、そんな核を誰しも心のどこかに持っているだろうと思うと、大手、フリー関係なく報道し続ける人たちってすごいなと素直に敬意を抱けるのです。
前のコーヒーよりは売るモンに愛があったので読みやすかったです
投稿: うた | 2010年1 月 8日 (金) (16:08)